ようこそ、カトリック鶴岡教会へ      

 楊 成源 神父


 1903年(明治36年)に建てられた教会は、115年を経ています。境内の正門を入ると、大きな、「天主堂」という文字が目に入っています、これは珍しいことだと思います。現代の教会堂には「カトリック教会」という名が付けられています。「天主堂」という名を見ると、そこにはもう歴史があるわけです。しかし、「天主堂」という文字は、私にとって親近感があります。なぜなら、私の故郷の教会堂も「天主堂」と呼ばれているからです。 もう一つ、私の目に入ったのは「国指定重要文化財」という表示です、つまり、この建築は、カトリック教会にとって聖なる場所であり、また、国にとっての宝でもあります。

 私たちは、この教会に入ると、一方では神の恵みをいただきます、もう一方では、この建築の歴史も分かるようになります。鶴岡市は歴史の町で、豊かな文化に囲まれていますので、たくさんの観光客が来られます、この教会にもたくさんの観光客が入ってこられます。教会に入ると、カトリック教会のことについても、少し学ぶことができると思います。
教会は信仰を生きる場所であるだけではなく、人生についても考える場所でもあります。イエスは「疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい、休ませてあげよう。私は柔和で謙遜なものだから、私の軛を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」(マタイ11章28−29節)と言われました。イエスは一人ひとりを愛しておられるので、いつも声をかけられておられます。そして、いつも正しい道へと導いてくださっています。 
カトリック教会の信仰は希望に基づく信仰です。神のお恵みが、私たちの生活を改善させてくれると信じています。イエスは一人も捨てられません。誰でも、平等に受けいれて、愛しておられます。イエスには一生涯の間、ただ一人の敵もいませんでした、すべての人がイエスの友達だったです。イエスは、常に、両手を開いて罪人を赦されます。イエスの唯一の信念は赦すことにあります。そしてイエスは「私たちに、互いに愛して赦しなさい」と教えられています。したがって、私たちは教会に入って、イエスが教えられたことを体験するようにいたしましょう。
2018年4月


●伴八郎 神父

●スリ・ワルヨ 神父

●本間研二 神父