鶴岡教会就任あいさつ

伴 八郎神父


 主の御復活おめでとうございます。「私は、復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる」このイエス様のみ言葉を新ためて思い起こす復活祭であります。この度私は、夏は暑い名古屋から東北の雪国に来て10回目の復活祭を、伝統のある城下町、鶴岡で迎えることになりました。イエス様は、エルサレム入場の時は、ロバに乗って都入りをされましたが、私は前の赴任地であった秋田から、レンタ−カ−にダンボールの荷物をいっぱい積んでの鶴岡入りでありました。


 まず到着したのは教会の近くにある市役所でした。窓口で転出証明書を出すと窓口の係の人が「よくいらっしゃいました。ありがとうございます。」言われてびっくりしました。私が鶴岡市民の一人になることを歓迎されたのです。今まで何回も転勤しましたが、市役所で歓迎の挨拶をされたのは初めてでした。そしてプレゼントされたのは「鶴岡市民便利帳」でした。まず目に入ってきたページは、国指定重要文化財の鶴岡カトリック教会天主堂の写真でした。明治ロマネスク様式建築の傑作とされていました。ここで私は、「天主堂」と言う言葉に目が止まってしまいました。今まで赴任したカトリック教会では、天主堂とは呼ばれていなかったからです。後で、荻原泉氏が書かれた『天主堂を仰ぎみて』には「戦前までカトリックは天主公教会とも言われ、教会堂は天主堂とも呼ばれた。従って明治36年に建てられた鶴岡カトリック教会は天主堂と呼ばれたのである。」を読んで納得することができました。同じ荻原泉氏が書かれた『鶴岡教会略史』を見ますと、1911年から1955年の44年間、私の属する神言会が司牧担当していたということを知り、驚きと不安を覚えました。4代から12代まで歴代の7人のドイツ人神父様達の堂々とした神々しい姿の写真を見たからであります。大先輩の神父様からしっかりと110年の伝統ある鶴岡教会の司牧をイエスズ・マリアの御心会から引き継いで、私たちの名を汚さないようにやりなさい。と言われているようでした。そして、鶴岡教会出身の神父様に、同名のサレジオ会の伴 元毅神父様がおられるのを見て再びびっくりしてしまいました。私の座右の銘はパウロのTテサロニケ5章16節の言葉「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなときにも感謝しなさい」であります。26年度、鶴岡教会の信徒使徒職会取り組みのテーマは、「感謝と愛のうちに新しい風を育む」であります。このテーマとパウロの言葉のテサロニケ教会への手紙にある言葉は「感謝」であります。いつも感謝の心を忘れないで教会司牧に専念したいと思います。

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