国指定・重要文化財
鶴岡カトリック教会 天主堂
明治36年(1903年)
永く庄内地方藩政の中心都市として栄えた
城下町鶴岡に
赤く鋭い尖塔に十字架をかかげた
鶴岡カトリック教会天主堂が完成した
庄内藩家老末松十蔵屋敷跡の武家門の中に建つ聖堂は、以来異彩を放ちながらもこの街の風情と調和し、布教活動の拠点となり、また、市のシンボル的建築物となった。高さ23.7メートル、正面の幅10.8メートル、主棟奥行き23.75メートル、木造瓦葺きの瀟洒な天主堂は、フランスのデリヴランド教会をイメージして建てられたといわれる、バジリカ型三廊敷きロマネスク様式の教会建築物で、東北地方ではこの様式最古のもの。また、日本における教会堂の建築設計を数多く手掛け、宣教師としても精力的な活動をしたフランス人パピノ神父最後の設計によるものという。
元和8年(1622年)に始まる外国人キリシタンの庄内地方布教巡回から280年程経て、明治18年秋、パリの外国宣教会はダリベル神父を鶴岡に覇権、現在地を購入して礼拝堂と集会所に当て恒久的な根拠地を得、小規模ながら西洋の文化、宗教継承の歴史がここに出帆した。明治33年の設計着手から同36年10月の完成まで幾多の人々の労働を費やし、明治西洋建築の傑作と謳われる天主堂をなる。昭和48年5月、鶴岡市有形文化財指定、同6月山形県有形文化財指定、そして昭和54年5月国指定重要文化財となる。